栗東試験水田は、無施肥無農薬栽培の記念碑的な存在です。1951年以来、無施肥無農薬栽培を継続しているという歴史的な意義だけでなく、生きた水田として、この水田からはこれまでに数々の貴重な記録が産み出されてきました。これまでにこの水田を訪問した人の数はのべ数千人にのぼります。実際の水田作業にボランティア参加した人もおられます。無施肥無農薬栽培の見学を希望された方の多くをご案内したのもこの水田でした。この水田を見学して無施肥無農薬栽培を始める決意を固めた方も多くおられます。しかし、隣接地域の都市化や、所有者の移転などのさまざまな理由によって、2006年の栽培を最後に、この水田での水稲栽培はできなくなります。 |
ここに、栗東試験水田の概要とその水田からの調査研究の成果をまとめました。
概要
滋賀県栗東市辻にある約15アールの水田で、6アール(A田)および9アール(B田)の二筆よりなる。この水田は、野洲川流域の沖積平野に位置する。灌漑水は用水路より、B田に取り入れ、A田を流れて排水路へ落ちる。無施肥裁培は、稲藁、籾殻、および手取除草した雑草は、全て圃場外へ搬出し、圃場内に残る有機物は、刈株、根および極少量の雑草だけである。
本田は春耕し、別に無施肥で育苗した苗を植える。田植は、当初は手植えであったが、後にポット苗を用いた機械田植を行っている。当初は田植後20日ころから7日おきに田打車を4回、さらに手取除草を1回行っていたが、後に田植後15日ころから10日おきに手取除草を3回、機械除草を1回行っている。中干しは行わず、灌漑水は成熟期まで十分に供給する。裁培品種は当初よりベニアサヒで、長稈・穂重型・中晩生の品種で、種子はこの水田で採取される。
略歴
1951年 | 水田の所有者、田中一枝氏が無施肥無農薬裁培を開始する。 B田では、作付け前に深さ約30cmの天地返しを行った。 |
1974年 | 長谷川浩京都大学名誉教授による調査開始 |
1975年 | 近畿大学のプロジェクト研究「多肥多農薬と無施肥無農薬農法の特質に関する 比較栽培学的研究」の対象圃場となる。(5年間のプロジェクト) |
1985年 | 田中一枝氏帰幽.以後自然農法調査資料室が栽培管理をおこなう. |
1995年 | この年以降、収量が400kg/10aを越える年が多くなり、 水田中の雑草が極端に少なくなってくる。 |
2000年 | NPO法人無施肥無農薬栽培調査研究会が栽培管理を引き継ぐ。 |
2006年 | 圃場の所有者が田中氏から他者へ移転.無施肥無農薬裁培の最終年となる. |
本水田を対象とした研究論文など(著者のアルファベット順)
以上は、本会が把握している研究報告および総説です。これ以外の報告をご存じの方はご連絡いただけると幸甚です。
栗東試験水田見学会
2006年10月1日と10月9日に、栗東試験水田の見学会が催されました。
10月1日
雨の中解説を聞く参加者 | 理事長(左)と参加者 |
10月9日
無施肥田の感触を確かめる参加者 | 無施肥でしっかり稔った稲穂 |
竹内理事長あいさつ – <栗東市試験圃場について>
栗東の水田は1951年から無施肥無農薬栽培を開始してその間一切、肥料、農薬を使用しておりません。もう一つの特徴はその間、自家採種を継続していることです。
有肥栽培の場合は自家採種をつづければ変異により元来の品種の性能を発揮しなくなり、10年もすれば相当劣化すると考えられています。
この水田の品種:ベニアサヒも戦前とはいえ有肥栽培の元で選抜開発された品種であり無施肥無農薬栽培は想定されていない品種です。しかし56回も自家採種を行い、別の品種の名前をつけて登録してもよいぐらいに元来のベニアサヒとは違う、無施肥無農薬栽培に順応した品種になったと考えられます。
自家採種を10回ほどつづければ無施肥に順応した品種になるはずです。
この無施肥無農薬栽培法を30年ほど前に初めて聞いたときは耳を疑いました、しかし実際に圃場(栗東市試験水田)を観たときに本物であると確信しました。
そして現在の科学でどこまで解明できるか研究してほしいと言われ、学内の研究室に無施肥無農薬栽培と多肥多農薬栽培とを比較するプロジェクト研究(分野の違う人が視点を変えて同じ問題に取り組む)が発足しました。
近代科学の研究法は不明な点があれば何かを加算あるいは除外して結果を検索するのですが、無施肥無農薬栽培の場合は何も加えない、何も引かない、現場で物を観るしか栽培方法はないのです。
能力が不十分なのは自覚しておりますが、研究課題としてこれ程難しい物はないことも30年研究して感じております。
まだまだ無施肥無農薬栽培には不明な点があります。
残念ながら栗東市の試験水田は本年で終焉を迎えます。しかし水は変りますが土壌は宇治市小倉に移設しますので、これからも研究は継続していきます。
Q&A
2006年栗東市試験水田 土壌の移動
隣接地域の都市化や、所有者の移転などのさまざまな理由によって、2006年秋の収穫をもちまして栗東市試験圃場での栽培を終了しました。
ですが56年間無施肥無農薬栽培を継続した貴重な土壌ですのでなんとか無施肥栽培を継続していきたいと思いました。
圃場の新しい所有者のお心づかいにより水田の深さ15cm分の土壌(350㎡)を宇治市小倉試験圃場に移すことになりました。
宇治市小倉試験圃場(2003年から無施肥無農薬栽培を継続)45aのうち10a部分(図のB部)を深さ15cmまで掘削し、掘削した土を(A部)の上に盛ります。B部に栗東市試験圃場の土壌を客土し2007年よりベニアサヒを栽培します。
表層15cmの土壌は同じですが栗東と小倉とは直線距離にして23kmも離れており、気象環境なども異なります。その上で、土壌の変化や生育状況の異いなどを観察しつつ、これからもこの貴重な土壌を大切にしていきたいと考えております。
栗東市:パワーショベルで掘削し4tトラックに載せ宇治市小倉まで運びます
小倉:B部の土をA部へ移動し栗東市から運んだ土を客土します。